反銀英伝 大逆転!リップシュタット戦役












(注) この物語は、田中芳樹著「銀河英雄伝説」を元にしたフィクションであり、実際の人物、団体、事件等とは、何の関わりもない事をお断りして、話を進めさせていただきます。石井由助氏のサイト、「田中芳樹を撃つ!」の掲示板にて、北村賢志氏の「リップシュタット戦役が今ひとつである。もし大貴族側に、ラインハルト陣営に対抗できる、有能な人物がいたら・・・」という意見から、「どうせなら、『史実の銀英伝』よりは、『反銀英伝』にしてしまった方が・・・」という平松重之氏の意見を加えて、私が勝手に話を組み立てたものです。ここに登場させたのは、「エーリッヒ・フォン・タンネンベルク伯爵」というキャラクターで、キルヒアイス艦隊との決戦の為、キフォイザー星域へ向かうリッテンハイム侯爵の艦隊から話は始まります。なお、見ての通りですが、「フォン・タンネンベルク」なるキャラクターは、柘植久慶氏の架空戦記、「逆撃!」シリーズのドイツ編から貰って来ていますし、それ以外の設定などもかなり使っていることは、最初にご承知の上でお読み下さい。更に付け加えると、「大逆転!」なるタイトルも、檜山良昭氏の架空戦記もので使われたものです。それでは、「もしも、貴族連合軍に有能な大貴族の軍人がいたら・・・・・」という「銀英伝の架空戦記」の世界を、お楽しみ下さい。







反銀英伝 大逆転!リップシュタット戦役(1)






「何?赤毛の孺子と戦うな、と卿は言うのか!」

「左様。我らがなすべき事は、他にあるからです」

 キフォイザー星域へ向かう、リッテンハイム侯爵の旗艦「オストマルク」にて、首席幕僚の銀河帝国軍大将、タンネンベルク伯エーリッヒが断言した。

「貴様、わしが赤毛の孺子如きに、勝てぬと言うのか!」

 リッテンハイム侯は「気分を害した」と言わんばかりに、声を荒げた。しかし、それ以上激発まではしない。何しろタンネンベルク伯は、帝国貴族の中でも名門中の名門の出である。タンネンベルク家は、第三代皇帝の御代に、ゴールデンバウム王家の非嫡出子が立てたものだ。出自が王家であること、その歴史も長いこと、領地も広く裕福であることから、当然のように有力貴族家の一つとして数えられている。伯爵自身が25歳とまだ若い事と、現在のゴールデンバウム王家とは直接縁戚関係がないことで、今回のリップシュタット戦役では控えめに振る舞ってはいるが、その家名はブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯と雖も、侮りがたいところがあるのだ。

「そういう事ではありませぬ。赤毛の孺子、いえキルヒアイス上級大将程度が相手でしたら、私に別働隊を10000隻も任せていただければ、散々なまでに引っかき回してくれましょう。侯爵閣下は正面から攻撃して下されば、それで楽勝です」

 タンネンベルク伯は自信たっぷりに放言した。しかしこれは、大貴族特有の根拠のない自信過剰ではない。タンネンベルク伯の軍事的才能は、ラインハルトのような華麗さはないものの、今まで同盟軍相手に散々実証されている。士官学校を出て少尉任官後、名門の出という引きはあるものの、22歳の時には少将にまで昇進していた、という事からも伺えるだろう。しかも、それは安全な後方勤務ではなく、全て前線で活躍した功績によって与えられた地位なのだ。帝国軍内部で、「エーリッヒ・フォン・タンネンベルクがこのまま軍に在籍し続けた場合、近い将来帝国軍三長官のいずれかの座は確実。もっともふさわしい地位は、実戦部隊の指揮を取る宇宙艦隊司令長官」と、賞賛と嫉妬がカクテルされた物言いで、囁かれてていたのも当然だったろう。その後、父親の先代タンネンベルク伯ハインツの死去に伴い、家を継ぐ為に退役した時は、周囲から惜しまれつつ、軍を去ったものである。今回、リップシュタット戦役の勃発とともに軍に復帰し、当然の如く貴族連合軍に身を投じていた。しかも、タンネンベルク伯は予備役にあった時も、軍関係の情報収集を怠ってはいなかった。伯の退役後に台頭してきたラインハルト・フォン・ローエングラムと、その部下たちの用兵を、熱心に研究していたのである。タンネンベルク伯は、決して敵を甘く見るような人物ではない。また、伯は、ミューゼル姓を名乗っていた時からラインハルトの事はよく知っていた。士官学校を卒業する前に、幼年学校の「金髪の孺子と赤毛の腰巾着」に興味を持ち、わざわざ会いに行ったことがあるくらいだ。もちろん、実際二人に会っての伯の評価は、周囲の軽んじたものとは相当距離が隔たっていたことは、間違いない。

「楽勝、と申す卿が、何故赤毛の孺子との戦いを止める?」

 リッテンハイム侯は訝しげに問うた。勝てる戦いをやるな、というタンネンベルク伯の論理が、侯爵には理解できなかったからだ。

「私が申すのは、このような辺境星域で、ローエングラム侯の腹心とはいえ、所詮部下相手に戦術的勝利を得ても意味がない、という事です。そのようなちっぽけな勝利ではなく、この戦役の帰趨を決する戦略的勝利を得よう、とはお思いになりませぬか?」

「戦役の帰趨を決する戦略的勝利だと?卿は一体何をしようというのか?!」

 一旦は怒ったリッテンハイム侯だが、いつの間にかタンネンベルク伯のペースに乗せられてしまっている。

「知れたことです。帝都オーディンを奪取し、我らが皇帝陛下を擁し奉る。キフォイザー星域には向かわず、艦隊の進路をオーディンへ向け、電撃作戦で帝都を制圧するのですよ。それで勝利は確実です」

 タンネンベルク伯は、いかにも「簡単なこと」と言わんばかりに提案した。

「ん?そう簡単に行くかな。ここからオーディンまでは遠いぞ。それに、赤毛の孺子が黙って見逃すとも思えんが・・・・」

 リッテンハイム侯は疑念を呈した。辺境星域から帝都まではかなり距離がある。敵を出し抜いてオーディンを制圧できるかどうか、何とも言えないところだ。

「先ほど申し上げた、10000隻の兵力を私めにお任せ下さい。先ず私自身が1000隻の高速戦艦を主力とする戦力にて先行し、オーディンに向かいます。ローエングラム侯は帝都の戦力をほぼ空にしていますから、脱落艦が多少出たところで、制圧するには1000隻もあれば十分でしょう。侯爵閣下はその後を追ってきていただきたい」

「卿に預ける内の、残りの9000隻は?」

「私の麾下の、シュタイナー少将に預け、キルヒアイス上級大将の艦隊を相手に遊撃戦を行わせます。これも高速艦を中心に編成し、付かず離れず敵を翻弄し、時間稼ぎを行うのです。これにより、敵の行動を妨害し、我が方のオーディン制圧作戦を容易ならしめる訳でして。敵は30000隻余りではありますが、行動を妨害するだけの目的なら、9000隻あれば十分でしょう。まともに戦う訳ではありませぬので。シュタイナー少将の戦術手腕にも不安はございませぬ」

 アルベルト・フォン・シュタイナー少将は、帝国騎士=ライヒスリッター出身の下級貴族である。タンネンベルク伯は元帥府の階級を得ていた訳ではないので、軍命により遣わされた部下がいる訳ではない。しかし、有望そうな貴族階級出身の軍人に目を付け、個人的に「取り巻き」を作っていたのだ。とはいえ、おべんちゃらだけのいわゆる「タイコモチ」など、タンネンベルク伯の「取り巻き」にはただの一人もいない。ラインハルト陣営のオスカー・フォン・ロイエンタール提督も、誘われたことがあり、貴族連合軍に参加しているアーダベルト・フォン・ファーレンハイト提督も声を掛けられ、何度か伯主催の「戦略戦術研究会」に参加したことがある、と言えば伯が「取り巻き」に要求したレベルがよく判ることだろう。リップシュタット戦役前には、オーディンのタンネンベルク伯爵邸では、月例会のペースで、伯主催の「戦略戦術研究会」が開かれていたものだ。

 対処方法を淀みなく答えたタンネンベルク伯に対し、リッテンハイム侯はやや不満そうに告げた。

「それでは、成功した場合、功績は卿のものばかりになってしまうな。わしは黙って見ているだけではないのか?」

 所詮は「自分が自分が」の意識が強い、門閥貴族である。タンネンベルク伯の作戦案が成功した場合、リッテンハイム侯爵は伯の作戦に従って行動するだけで、目立つのは伯ばかりとなってしまう。それを想像しただけでも、リッテンハイム侯が「面白くない」と考えるのも当然だったろう。

「そうおっしゃられますな。オーディンに入って以降は、侯爵閣下がおられなければ話にならぬではありませぬか」

 首を捻るリッテンハイム侯に、タンネンベルク伯は続けて説明する。

「オーディン制圧後、速やかに新しき体制を築き上げなければなりませぬ。帝国宰相を僭称するリヒテンラーデ公爵を処刑し、現皇帝のエルウィン・ヨーゼフ二世を廃立。侯爵閣下のご息女に即位していただくのです。もちろん私も、帝国軍三長官級の、それ相応の地位をいただくつもりですが、リッテンハイム侯には公爵に階級をあげられた上、帝国宰相に就任していただくことになりますがいかがでしょうか?私だけでどうにかしようと思いましたところで、現在のタンネンベルク家には、太古の昔はともかく、ゴールデンバウム王家の血を引き皇位を継承出来る者がおりませぬ。母親の血筋が劣るエルウィン・ヨーゼフ二世では、我ら貴族連合の支持を得られない以上、私めが好き勝手にする訳には参らぬのです。侯爵閣下の御支持なしには、何事もなし得ぬのですよ」

 娘のサビーネの即位、そして自らの帝国宰相就任。その言葉を聞いて、リッテンハイム侯の目は輝いた。女皇帝の父にて帝国宰相の地位。それに何の不満があるだろうか。

「む・・・そうか。卿としても権力は欲しいが、卿単独ではできない。わしの後ろ盾が必要、という事だな」

「左様でございます。侯爵閣下は帝国の覇権を握る事ができ、私は閣下のもとで軍の実権を握る。お互い悪い話ではありますまい。成功した暁には、ブラウンシュヴァイク公らは地団駄踏んで悔しがる事請け合いですが、どうする事もできませぬ。今更、あれ程嫌っているローエングラム侯陣営に接近する訳にもいきませぬからな。内心不満ではありましょうが、その内諦めて侯爵閣下の覇権に膝を屈することになりましょう。あるいは、多少はブラウンシュヴァイク公らの不満をなくす為、刃向かいできぬ程度の地位を与えてもよろしいかとは思いますしな。また、オーディンを制すれば、ローエングラム侯の姉、グリューネワルト伯爵夫人の身柄も拘束できる訳です。その場合、ローエングラム侯は、我らにまともに手出しをできる訳がありませぬ」

「そうか!金髪の孺子の姉がおったか!!」

「侯爵閣下もご承知の通り、ローエングラム侯のグリューネワルト伯爵夫人へのこだわりは、尋常ではありませぬ。実際、そのような事はありませぬが、姉弟にしてただならぬ関係なのでは、と邪推したくなる程でございます。おそらくは彼の命より大事な、姉の命を我らに握られて、冷静沈着なる判断などできよう筈もございますまい。伯爵夫人の身柄を確保したところで、ローエングラム侯の死命さえも、我らが決することができる、という次第です」

 オーディンを制すれば、同時にグリューネワルト伯爵夫人の命も握る事ができる。その結果、ローエングラム侯が心中穏やかに過ごせる訳がない。相手を「焦り」の立場に追い込めば、それだけ有利に戦いを進められよう、というものだ。しかも、オーディンにリッテンハイム侯軍、ガイエスブルグ要塞にブラウンシュヴァイク公軍、と腹背の敵に対処せねばならないローエングラム侯がいかに「戦争の天才」と雖も、これは容易ならざる事態である事は間違いない。

「うむ、卿の案はまことに優れる点が多い。赤毛の孺子など、歯ごたえのない相手と戦うのは、いささか退屈だと思っておったところだ。卿の案を採用し、孺子どもに一泡吹かせてやることにしようか」

 喜びを露わにしたリッテンハイム侯に対し、まるで表情には出さないものの、タンネンベルク伯は、内心では冷ややかな視線を侯に向けている。「この程度で操縦できるとは、何と安直なものよ」と、実は侯に対し、侮蔑に近い感情を持っているからだ。

 そもそも、タンネンベルク伯は、「高貴なる者には、高貴なる責務が発生する。それを実行してこそ、支配階級たりうるのだ。それは決して、平民階級如きが実行しうるものではない」という思想の持ち主だ。「ノブレス・オブリッジ」を信条とし、それをそのまま実行してきたのである。最前線での死闘の連続、イゼルローン回廊近辺の惑星上での地上戦で、死にかかった事も一度や二度ではない。また、「航空戦力に対する感覚的な理解も必要。パイロットの課程も経験しておかなければ」と、当時准将の地位にある人間の戦闘艇操縦訓練志願に、唖然として「将官のパイロット候補生など、前例がない!」と言い募る航空担当者の反対を「私が前例だ、文句あるか!」と押し切って、強引にパイロット課程を受講したこともある。訓練終了後は「実戦に出ずして、何の意味がある」と、自ら戦闘艇ワルキューレを駆っての空戦も経験しているくらいだ。しかも、それも一度や二度ではなかった。最終的に撃墜4機、撃破2機、駆逐艦1隻撃沈を記録しているので、伯はパイロットとしてもそこそこ腕が立ったようである。地位と財産を背景に、安穏と華やかな宮廷生活のみに血道を上げてきた、リッテンハイム侯やブラウンシュヴァイク公とは「人種が違う」と言っても過言ではない。ローエングラム侯ラインハルトとも、意外に気が合うかも知れない面は、タンネンベルク伯にはあるのだ。

 しかし、エーリッヒ・フォン・タンネンベルクと、ラインハルト・フォン・ローエングラムでは、決定的に違う面がある。「支配者には支配者としての責務がある」という点は、両者とも同じように考えているが、あくまで「国家の基盤である、貴族階級がそれを果たすべきだ。意識の低い平民階級などに、そこまでの国家護持の責任は負えないし、負わせられない」、というタンネンベルク伯。「出自が何であろうとも、実力ある者が支配者の地位に就くべき。血筋によって決定される階級制度など下らない。旧態依然たる貴族階級など打倒しても構わぬどころか、それが当然であり歴史の必然だ」、というローエングラム侯。この違いは決定的である。これはもちろん、両者の出自によるもの以外の何物でもあるまい。帝国最高級の名家に生まれ、堕落した家が大半の今日の帝国貴族家にしては珍しく、臆病や惰弱を廃した質実剛健な教育方針にて、真っ直ぐに自分の存在意義を肯定して育った者と、明日の暮らしにも困るような下級貴族の家に生まれ、慈愛を与えてくれた姉を「皇帝」という帝国最大の権力者に奪われ、理不尽なまでに強大な権力に対する憎しみを、沸々と募らせて成長した者との違いであろう。個人的には意外に気が合うかも知れないが、決して相容れる事はない。それが、タンネンベルク伯とローエングラム侯の決定的な違いであり、差でもある。



 タンネンベルク伯は、直ちに「オストマルク」を辞し、自らの旗艦「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」に向かった。しかし、その前に高速戦艦「ダンツィヒ」に立ち寄り、アルベルト・フォン・シュタイナー少将を訪ねる。連絡艇が「ダンツィヒ」に到着し、タンネンベルク伯が姿を現すと、シュタイナー少将は敬礼して出迎えた。

「早速だが、卿には敵艦隊の足止めを頼みたい。戦力は9000隻。高速艦を中心に編成する。実際のところ、高速戦艦よりも巡航艦・駆逐艦が主力になってしまうが、それは構わぬな?」

 シュタイナー少将は、たちどころにタンネンベルク伯の作戦を理解した。

「つまり、小官が敵を足止めしている間に、伯爵閣下が帝都オーディンを陥とす訳ですな?高速艦中心に編成した、ということは、小官は機動力を生かした遊撃戦にて、キルヒアイス上級大将相手に戦術の妙を尽くし、時間稼ぎを行う、という事で」

「その通りだ。私が1000隻の戦力を率いて、可及的速やかにオーディンに向かい、皇帝陛下とグリューネワルト伯爵夫人の身柄を確保する。リヒテンラーデ公爵には、気の毒だが自裁をお勧めすることになるだろうな。その後、現皇帝陛下にはご退位いただき、リッテンハイム侯爵令嬢、サビーネどのを即位させる。侯には帝国宰相の地位に就いていただく。私はその下で、帝国の軍権を握ることになる。とはいえ、ローエングラム侯は阿呆ではないから、すぐに気付いてオーディンへ戦力を戻すことになるだろう。おそらく彼の陣営の『疾風ウォルフ』こと、ウォルフガング・ミッターマイヤー大将とのスピード比べになるだろうな。この私と、ミッターマイヤー大将とどちらが速いか、なかなか面白い見物となりそうだ」

 タンネンベルク伯の構想を聞いて、シュタイナー少将は頷く。自らが行うオーディンへの先着競争を、「なかなか面白い見物」などと、第三者として楽しむかのように平然と評してみせる。エーリッヒ・フォン・タンネンベルクとは、そのような人物だった。

「しかし、リッテンハイム侯程度の人物に権力を壟断させるが如き方策は、正直愉快とは言えませんな。小官としては、閣下の為に働くことはいざ知らず、それが同時にリッテンハイム侯の為にもなってしまうのでは、多少なりとも勤労意欲も減退しようというものです」

 シュタイナー少将は、割と好き嫌いのはっきりとした人物である。さすがに、このような事を公言したりはしないが、伯の前ではつい本音が出てしまったようだ。

「はははははははは、まあ、そう言うな。今後、どうなるにせよ、いずれかの勢力には属さねばならぬのだ。何しろ、我らが単独で、影響力の持てる皇帝を推戴できる訳ではないからな。ローエングラム侯やその幕僚たちに興味はあるし、なかなか粒ぞろいで活きがいいのは認めるが、彼は現在の帝国社会を叩き壊す事を目的としているとしか思えぬ。最終的には、ローエングラム侯は帝位を簒奪し、自ら皇帝に戴冠するつもりだろうな。おそらくは貴族階級を廃止して。それでは、基本的に安定を望む我らが容れるものではないし、そのやりようでは悪戯に流血を煽るだけだ。更に、移り気な平民階級の支持を基盤とした皇帝制など、あまりに無理があると私は思う。そのようなことをするくらいなら、反乱軍=自由惑星同盟を僭称する連中のように、民主制とやらを採用した方が良かろう。一方、ブラウンシュヴァイク公らは、貴族を国家の基盤とする者としては同志にはなるが、我欲が強すぎるし、フレーゲル男爵のように、感情優先で現実性に欠ける人物が身内にいる。それでは、理をもって説得し、こちらの思う通りに操るのが難しかろう。リッテンハイム侯は平凡で欲望も人並み以上あり、特に称えるべき点はないが、「どうすれば自らが利を得られるか?」くらい指し示せば理解する程度の判断力は持っている。それで十分だ。我らの方が、侯より遙かに若いのだ。取り敢えず侯に実権を預けておくことで、今直ちにはそれ以上の無理はせずとも、そのうち時間が経てば、いずれ時代は我らのものとなろう。更に、軍権は我らが手にする訳であるから、実質的な『軍事的暴力』はこちらのものだ。これが物を言わぬことはあるまい」

 タンネンベルク伯の結論に、シュタイナー少将ももとより異議がある訳ではない。自分たちだけでは、帝国を根本から動かすだけの力が、未だ無いことを嘆いているのである。もちろん、シュタイナー少将としては、帝国軍最高司令官のみならず、帝国宰相の地位も最終的にはタンネンベルク伯に担ってもらいたいと考えている。

「諒解しました。小官は、徹底的にキルヒアイス上級大将麾下の艦隊の行動を妨害し、閣下の艦隊への追撃が行われないよう、腐心することにします」

「ああそれと、私はすぐにでも1000隻を纏めてオーディンへ立つが、私が出発した後、最低1日程度、それと悟られないように頼む。オーディンへの距離は、ここよりローエングラム侯らが布陣している宙域の方が近いからな。キルヒアイス上級大将から、ローエングラム侯にすぐに連絡が入って、ミッターマイヤー大将に早駆けされたら、いくら私でも先にオーディンへの客となることはできぬのでね」

「それは何とかなるでしょうが、リッテンハイム侯の本隊にも協力していただきたいと思いますね。馬鹿正直に敵に肩すかしを喰らわせてオーディンへ向かうのではなく、一見キフォイザー星域を目指しているような航路を取り、その後相手を混乱させるような艦隊運動を行ってから、おもむろにオーディンへ向かってもらいたいと思います。そのようにすれば、いかにキルヒアイス上級大将と雖も、そう簡単にこちらの意図を見抜く事はできないでしょう」

「諒解した。本隊の艦隊行動案は、貴官が立案し、艦隊行動プログラムも提出しておいてくれ。出発前に、私の方からリッテンハイム侯に連絡し、実行させるようにする」

 話が纏まると、タンネンベルク伯は連絡艇で、自分の旗艦である「クラウゼヴィッツ」へ向かう。オーディンへ向かう艦隊を集結し、なおかつリッテンハイム侯の領地へ、新皇帝になるサビーネを迎えに行く艦艇も選抜しなければならないのだ。ローエングラム侯らが現在いる場所とは、銀河の逆側にあたる宙域にリッテンハイム侯の領地はあるので、さほど危険はない筈だが、一応用心するにこしたことはない。とはいっても、目立ってしまってはそれはそれで困るので、どの程度の戦力を遣わすか、思慮が必要なところだ。

 シュタイナー少将の方は、すぐに自分の幕僚を召集し、本隊の行動案を立案した。キフォイザー星域直前まで本隊は前進し、一旦反転して後退。四時間ほど待機してから、再度星域に入るそぶりを見せ、もう一度後退する。更に四時間待ち、三度目の進撃で今度こそ決戦と思わせておいて、直前で90度回頭、オーディンへ向かう本意を相手に見せる。その時間までに、シュタイナー少将の遊撃部隊が迂回行動を行ってキルヒアイス艦隊の側背に回り込み、こちらの意図を悟って慌てる敵に、一撃離脱を加える。その後は、リッテンハイム侯の本隊は一路オーディンを目指し、シュタイナー少将のみが徹底的に遊撃戦を展開することで、キルヒアイス艦隊の行動を妨害する。艦隊運動にかかる時間と合わせ、それで敵に気付かれるまで一日弱の時間が稼げる筈だ。あとは、タンネンベルク伯艦隊の速さと運が、全てを決することになるだろう。



「よろしい。準備は終了した。これより行動開始とする。作戦名は・・・・そうだな、『ブラウ』としよう。『ブラウ作戦』開始だ!」

 数時間後、タンネンベルク伯爵は「クラウゼヴィッツ」の艦橋にて、行動開始を命令した。作戦名は「ブラウ(青)」。タンネンベルク伯の旗艦「クラウゼヴィッツ」は、灰色がベースなのは他の艦と同じだが、一部に群青色のストライプが入っている。タンネンベルク家の家紋も、青がベースになっているからだ。そこから取った作戦名である。この策に賭ける、伯の自負と矜持を示していると言えよう。

 伯の命令と同時に、麾下に組み入れられた1000隻の艦艇群は行動を開始した。とはいえ、オーディンへ長征する1000隻が、一斉に艦隊行動を行う訳ではない。10隻単位の集団が百個、しかも移動を開始するのは一隻ずつポツポツと、という慎重さだ。集結地は別の宙域を選んでいるのである。あくまで「目立たないこと」、それに細心の注意を払っての行動だ。もし、大っぴらにリッテンハイム艦隊から、1000隻もの戦力が離脱した場合、万が一にも敵の偵察隊に覗かれていた場合、行動を隠す事はできなくなる。「離脱した1000隻の戦力」が何を行う為に分離したのか?を考えぬキルヒアイス上級大将ではない、ということくらいタンネンベルク伯は先刻承知である。1000隻では、別働隊としてキルヒアイス艦隊に迂回攻撃を掛ける戦力としては少なすぎる。シュタイナー少将の9000隻の戦力ならそうでもないが、「1000隻の艦艇を何に使うつもりか?」と考え、「帝都オーディンへの直行作戦」と思いつく可能性は少なくない。いや、切れ者のキルヒアイス上級大将なら、気付いて当然だ、と伯は考えていた。カストロプ動乱、アムリッツァ会戦におけるキルヒアイスの指揮振りは、凡将の成せる業ではない、とタンネンベルク伯は見抜いていたからである。

「さて、これで戦役の帰趨が決まるか否か。ある程度は賭けの要素もあるのだが・・・・・いずれにせよ、賽は投げられた。あとは突き進むのみだ」

 タンネンベルク伯の旗艦「クラウゼヴィッツ」も、程なく移動を開始した。






 ジークフリード・キルイヒアイス上級大将麾下の艦隊は、キフォイザー星域にてリッテンハイム侯の艦隊が現れるのを待ち受けていた。「本隊として800隻を率います」と断言し、ワーレン・ルッツ両提督を驚かせたキルヒアイス上級大将の戦術案は、相手が本質的に「烏合の衆」である事を見抜いた上での物である。しかし、その見込みが根本的に変更を余儀なくされようとは、思ってもいなかった。

「敵艦隊、退却?後退します!」

 一旦はキフォイザー星域に侵入するかと思われたリッテンハイム艦隊は、星域の入り口で全艦が一斉に回頭反転し、後退を開始した。狐につままれたようなキルヒアイス艦隊を無視して、一旦距離を取った後に、艦隊陣型の再編を開始する。とは言っても、一応秩序だったものなので、キルヒアイスと雖も突っかける訳にはいかない。敵の攻撃を十分予期し、反撃体勢を整え、安全距離を取った上での陣型再編なのである。これは、シュタイナー少将の考案した通りの、艦隊運動であった。

「提督、敵の通信を傍受しました。『リッテンハイム侯よりの命令である。艦隊の陣型を再編する。今のままでは、美しい陣型ではないので、艦隊陣型をBパターンに変更するのだ』、という事です」

 ベルゲングリューン准将は、苦笑しながらキルヒアイス上級大将に報告した。「美しくないから艦隊の陣型を変更する」など、いかにも大貴族特有の、我が儘を剥き出しにしただけ、としか思えなかったからである。それを聞いてキルヒアイス上級大将は、にっこり微笑む。

「そうですか。リッテンハイム侯は変わった事にこだわるのですね・・・・・まあいいでしょう。敵が納得する陣型を整えるまで、待つことにしましょうか」

 若干、腑に落ちない点が無きにしも非ず、と不審に思わぬでもないキルヒアイスだったが、特に難点がある訳でもないので、大人しくリッテンハイム艦隊の再進撃を待つ事にする。こちらから突っかけるのは無理そうであるし、敵が逃げる訳でもないからだ。

 八時間後、陣型を再編し終わったリッテンハイム艦隊が、キフォイザー星域への再突入を開始した。キルヒアイス艦隊にも緊張が走り、交戦寸前の様相を見せる。

 ところが、またしてもリッテンハイム艦隊は後退を開始した。今度は、後ろを見せずに逆進してそのまま後退していくのだ。二度までも肩すかしを喰わされたキルヒアイス艦隊では、いっぺんに緊張感が解けてしまう。

「提督、また敵の通信を傍受しました。『Bパターンも今ひとつなので、Cパターンに変更する。やはりCパターンの方が美しい。艦隊は逆進して後退し、再度艦隊陣型の変更を行え。これはリッテンハイム侯直々の命令である』・・・・・・以上です」

 ベルゲングリューンはいかにも「呆れ果てた」と言いたげに、肩を竦めながらキルヒアイスに報告する。いかにリッテンハイム侯が我が儘だと雖も、いくら何でも度が過ぎている、と思ったからだ。

「いくら何でもおかしいですね。何か策略を立てているのではないでしょうか・・・・・・」

 キルヒアイスの目に、事態を憂慮する色が加わった。いくら何でも、リッテンハイム侯の我が儘があったとしても、ここまで酷い事はないだろう。

「閣下。どうも敵の艦の数が、若干少な目のような気がするのですが・・・・・」

 ビューロー准将が意見を述べる。情報では、リッテンハイム侯の艦隊は、五万隻余りを数えていた筈だ。ざっとの計算で、四万隻ほどしか確認されていない。

「と、いうことは、伏兵が迂回機動してくる、という事か?側背攻撃を行う為に」

 ベルゲングリューンが、ビューローの言葉に直ぐに反応する。

「ワーレン提督と、ルッツ提督に連絡。『敵の伏兵による、側背攻撃に注意!』、一応、二人とも気付いてはいるでしょうが、確認の為に連絡しておいて下さい」

 キルヒアイスの命令で、通信が飛びワーレンとルッツに伝えられた。そうは言っても、ワーレン隊もルッツ隊も、側背攻撃の危険性は十分考慮して布陣している。警戒をいっそう厳重にする、という以外に何もやりようがない。

 敵の奇妙な行動に対し、一応対処はしているものの、キルヒアイスの心中の不安は、一向に消去されはしなかった。どろどろした黒い物が、胸の中でとぐろを巻いているような気分である。暗い洞窟に閉じこめられ、出口がまるで見えない状況、と言ってもいいだろう。不安感だけが堆く積み上がっていくのだ。

 敵の後退後、何も起こらないまま、また八時間が過ぎた。艦隊陣型の変更と、その後の待機時間(四時間)を加えると、どうしてもそれだけかかるのだ。再々度の艦隊陣型変更を行ったリッテンハイム艦隊は、またもや進撃を開始する。最初の陣型で交戦を開始していたら、とうの昔に決着がついていたかも知れない。事実、一日近く、時間を無駄に経過させただけだったからだ。また、そこまで時間を費やしているのに、敵の別働隊が側背から姿を現す訳でもない。全くもって、何の為にここまで時間を潰したのか、さっぱり解らなかった。

「敵艦隊、接近!」

 ようやく交戦が開始されるか、と「待ちくたびれた」と言わんばかりのキルヒアイス艦隊の目前で、それは起こった。

「て、敵艦隊、射程外にて90度回頭!」

 リッテンハイム艦隊は、まだ射程の倍はある距離で、一斉に左90度回頭し、整然と航進を開始した。それ以上接近しては来ず、交戦する気配はまるでない。いや、徐々に遠ざかりつつあるようだ。戦闘を目的とした艦隊行動ではないことは、明白だった。

「敵艦隊、帝都方面への航路を取ります!」

 それを聞いてようやくキルヒアイスは敵の意図を悟った。

「まさか・・・・帝都に向かうつもりなのですか?」

 キルヒアイスは驚く。まさかリッテンハイム侯が、そのような事を考えつくとは思ってもいなかったからである。まさに、「意表を突かれた」というところだった。しかも、リッテンハイム艦隊は、整然とした行動で、一直線に帝都オーディンの方向へ移動している。

 もちろん、キルヒアイスは、このままリッテンハイム艦隊をオーディンへやる訳にはいかない事くらい解っている。戦力的には空の帝都に入城されてしまった場合、皇帝とアンネローゼの身柄をリッテンハイム侯に押さえられてしまう。皇帝はまだしも、アンネローゼがそのような目に遭う、というのはラインハルトのみならず、キルヒアイスにとっても悪夢以外の何物でもない。

「敵をオーディンへ到達させる訳にはいきません。全艦、全速突撃!敵の帝都への侵攻意図を挫くのです!!」

 キルヒアイスにしては珍しく、かなり慌てて命令を下した。司令官の感情が伝染したのか、キルヒアイス艦隊の全艦は、雑然とした突進を開始する。かなり距離を離されたので、何とか追いつかなければならず、命令を受けた側も慌てた為だった。それでも、キルヒアイス艦隊は、隊形を崩しながらではあるものの、リッテンハイム艦隊との距離を急速に詰め、射程距離に到達しつつある。何とか射程に納められれば、待避中の敵の斜め後方から襲撃する事になるので、多少陣型が崩れていても問題は無いはずだ。



「ふむ。さすがのキルヒアイス上級大将と雖も、焦りを誘えばこんなものか。まだまだ若いな」

 高速戦艦「ダンツィヒ」の艦橋にて、シュタイナー少将は一人呟いていた。シュタイナー別働隊は、すでに迂回機動を終え、キルヒアイス艦隊の左舷下方に位置している。探知可能距離ぎりぎりで、敵が慌ててリッテンハイム艦隊に突っかかるのを待っていたのだ。今となっては、完全にキルヒアイス艦隊からは盲点の位置にいると言っても間違いはない。突然進路を変え、オーディンへ向かおうとするリッテンハイム艦隊に気を取られ、周りに注意している様子は全くなかった。しかも慌てて追っているので、キルヒアイス艦隊の艦列は崩れつつある。攻撃するには絶好の機会であろう。

「全艦、突撃開始!全速で接近し砲撃を加え、敵の真っ直中を喰い破る。上方に突き上げつつ反対側に抜けて、距離を取ってから反転し、再度攻撃だ!続け!!」

 一際大きな声で命令を下すと、シュタイナー隊は「ダンツィヒ」を先頭に突撃を開始した。高速戦艦、巡航艦、駆逐艦だけで編成した部隊なので、速度はかなりのものだ。あっという間に距離を詰め、キルヒアイス艦隊に迫る。

「撃て!」

 9000隻の艦から光の矢が放たれ、キルヒアイス艦隊に降り注いだ。第一撃は全艦をもっての、一点集中砲火である。突入点を先ずこしらえ、その後連続砲撃で破孔を拡大するのだ。

 シュタイナー隊の一点集中砲火が着弾すると、たちまち連鎖爆発が発生し、キルヒアイス艦隊の艦列は大幅に崩れ、大穴が開いてしまう。そこへ「ダンツィヒ」を先頭に、シュタイナー隊が入り込み、全速前進しながら、更に攻撃を加え破孔を拡大してゆく。渾身の力を込め、鋭い錐を突き刺したような突撃、とでも言ったら解りやすいだろうか。キルヒアイス艦隊の左舷後方天底方向から、右舷前方天頂方向に向かう、下から斜め上に突き上げるような突撃である。

「なっ・・・・・・・」「なにっ・・・・・」「なんだと!・・・・・」

 キルヒアイス、ワーレン、ルッツの3人はほとんど同時に絶句した。一瞬気を放した隙に、高速部隊が突入してくる。考えもしなかった事態であり、完全に意表を突かれたからだ。

「突入した敵戦力は、およそ9000!」

「高速戦艦、巡航艦、駆逐艦による快速部隊!」

「左舷後方、敵突入部に配置された部隊は壊滅的被害を受けました!艦列が突き崩されつつあります。被害甚大!!」

「敵は味方を蹂躙しつつ、突き上げるようにこちらへ向かってきます!」

 味方の苦戦の報告が、キルヒアイスの旗艦「バルバロッサ」に相次いで届いた。

「リッテンハイム艦隊への追撃中止!陣型を再編し、突入してきた敵部隊の迎撃に移って下さい!!」

 キルヒアイスは即座に対処を指示するが、それどころではなかった。そう言っている間にも、シュタイナー隊はキルヒアイス艦隊の真っ直中を突き抜け続けている。対処する暇もなく、右往左往しているだけの艦が圧倒的に多い。いかにキルヒアイス、ワーレン、ルッツの戦術指揮能力が秀でているにしても、一旦混乱の渦に陥った味方を立て直すのは容易ではなかった。何しろ、下級指揮官はキルヒアイスでもルッツでもワーレンでもないのだ。そのレヴェルに、上級の提督と同じ能力を期待するのは酷というものだろう。

「敵艦隊、本艦の至近距離を通過中!」

 キルヒアイスが「バルバロッサ」の窓外を眺めると、斜め下から突き上げるかのように突進して行く敵の高速艦集団と、その周囲に広がる、爆発した味方艦による光の輪が目に入った。キルヒアイスには解らなかったが、その集団の中にシュタイナー少将の「ダンツィヒ」の姿もあったのである。



 ・・・・・・驚くべき事に、敵艦隊が嵐のように通り抜けて行ったたった十数分の間に、キルヒアイス艦隊は4000隻からの損害を受けていた。小中破まで含めると更に増え、6000隻余りになる。しかも敵に与えた損害は、ほとんどない。キルヒアイス艦隊が一方的に蹂躙されただけである。シュタイナー別働隊の突進力と破壊力が、いかに優れていたか、キルヒアイス艦隊がいかに混乱したか、を如実に現していよう。

「いいようにやられてしまいましたね。リッテンハイム侯の幕下に、かように有能な人物がいるとは・・・・・」

 キルヒアイスは正直驚いていた。無能と堕落の見本市のような大貴族連合軍に、このような鮮やかな手並みを見せる者がいるとは、考えてもいなかったからだ。メルカッツ上級大将クラスでも、ここまで見事な戦術手腕を発揮できるかどうか、と思える程である。

「提督、先ほど通り抜けて行った敵艦隊の先頭集団の中に、とんでもない艦を見かけたのですが・・・・」

 ビューロー准将が、半分以上青ざめた顔で、キルヒアイスに告げた。

「どうしたのです?ビューロー准将。とんでもない艦とは一体?」

 キルヒアイスは不思議そうな顔をする。ビューローが何を言いたいのか、解らなかったからである。

「高速戦艦『ダンツィヒ』です、閣下」

「ダンツィヒ?」

 艦名を聞かされても、キルヒアイスはそれが何を意味するのか、直ぐには理解できなかった。

「何年か前の第何次かのティアマト会戦において、抜群の働きを見せた、エーリッヒ・フォン・タンネンベルク准将に、少将への昇進と同時に、前皇帝陛下から下賜された艦です。何しろ、その戦いでタンネンベルク准将は、1000隻の分艦隊を率いて敵4000隻余りを破壊したのみならず、最後はワルキューレ隊の出撃にあたり、自ら戦闘艇に乗り込んで陣頭指揮を行い、自分でも一機を撃墜したのみならず、出撃機数の三倍の敵機を屠ってきた、という程です。『ダンツィヒ』の下賜は、その功績に対する恩賞でした。本来、大将にしか下賜されない個人旗艦を、昇進して少将になったとはいうものの、准将の位にて受けた、と当時たいそう評判になったのです。しかも、タンネンベルク少将は、一応艦の下賜は受け、しばらく乗艦として使用したものの、そのあとすぐに竣工した、タンネンベルク伯爵家が費用を負担して発注した新造艦『カール・フォン・クラウゼヴィッツ』に乗り換え、『ダンツィヒ』は部下に任せてしまったということです。さすがに前皇帝陛下も、これには苦笑されたそうですが、『クラウゼヴィッツ』の建造が進んでいることは承知で『ダンツィヒ』を下賜されたそうなので、タンネンベルク少将は、特にそれ以上咎められるようなことはなかったそうですが」

 エーリッヒ・フォン・タンネンベルクの名前を出されて、キルヒアイスの体には電流が走った。幼年学校の頃、「金髪の孺子」を、面識もないのにわざわざ訪ねて来た士官学校生の事を、思い出したからである。いかにも「金髪の孺子の見物に来た」と言わんばかりの来訪だったが、エーリッヒ・フォン・タンネンベルクにはキルヒアイスらを莫迦にした風情は全く見受けられず、大いに興味を持った風であった。ラインハルトは「大貴族出身のエリート士官学校生」に反感を持ったようだったが、キルヒアイスはその士官学校生に、ただ者ではないものを感じていたのだ。

「タンネンベルク伯爵?し、しかし、彼の名は我々が入手した『リップシュタット盟約』の名簿の中には、無かったはずですが・・・・・」

 キルヒアイスが知る限り、今回の内戦に関するタンネンベルク伯の態度は、領地に引っ込んで大人しくしていただけの筈だった。「リップシュタット盟約」の中に、タンネンベルク伯爵家の名がない事で、エーリッヒ・フォン・タンネンベルクについては完全にマークを外していたのである。

「そうおっしゃられましても・・・・先ほどの艦は間違いなく『ダンツィヒ』でした。あれに伯爵自身が乗っていたかどうかはともかく、少なくとも彼に近しい人物以外が使用できるとは思えませぬ」

 その通りだった。「ダンツィヒ」はタンネンベルク伯個人に下賜された艦である。伯本人の意思なしに、使用できる者はいないのだ。実際のところ、タンネンベルク伯爵は、公然とリップシュタット戦役に参加した訳ではない。とにかく目立たないように、細心の注意を払っていたのである。盟約に参加せず、戦役が勃発すると、知らぬ顔をして咎められる事もなく、悠々とオーディンから自領に帰っていたのだが、実はとうの昔にブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯ら有力貴族には根回しを終えていた。「ローエングラム侯らに悟られぬよう、ある時点までは黒子として活動したい。敵の油断を誘う為に」と、内意を告げて。その後、自領からタンネンベルク伯爵家の手持ち艦隊を率いて、極秘で迂回コースを通り、貴族連合軍に参加したのである。相手に警戒させず、意表を突いた用兵を行い、一気に戦役の勝敗を決すること。それが、今回タンネンベルク伯が狙っていた戦略であった。

「では・・・・・・先ほどの艦隊の中に『クラウゼヴィッツ』の姿はあったのだろうか?」

「エーリッヒ・フォン・タンネンベルク」の名を聞いて、ベルゲングリューン准将の顔色も変わっている。ある程度軍歴が長い者なら、当然知っている名だからだ。

「いや、『クラウゼヴィッツ』の姿はなかったようだ。ローエングラム侯爵閣下の『ブリュンヒルト』ほどではないが、『クラウゼヴィッツ』も特徴的な艦だったから、見間違えてはいないと思う。もし、タンネンベルク伯がいるのなら、リッテンハイム侯の本隊に参加しているのだろうな」

 そこまで聞いて、キルヒアイスの顔色も変わった。一つの可能性に思い至ったからである。

「リッテンハイム侯の本隊の中に、その『クラウゼヴィッツ』の姿は確認していますか?」

 キルヒアイスの質問に、誰も直ぐには答えられない。

「少々お待ちを。小官が調査しますので」

 ベルゲングリューン准将が、調査する為の時間を求めた。確認した艦艇の記録は残っている筈なので、調べれば解る事だ。但し、リッテンハイム艦隊は四万隻からの規模なので、多少は時間はかかる。

 程なく、調査結果は出た。リッテンハイム艦隊の中に、タンネンベルク伯の「クラウゼヴィッツ」の姿はなかった。

「『ダンツィヒ』の姿があるのに、『クラウゼヴィッツ』がいない、というのはどういうことだ?例えば『クラウゼヴィッツ』は整備中で使用できず、伯本人が『ダンツィヒ』に乗っているいうことなのだろうか?」

 ビューロー准将は首を捻っている。

「いや、更に別の伏兵がいるのではないだろか?もう一隊、迂回機動を掛けてくる部隊があって、それをタンネンベルク伯が率いているのでは?」

 ベルゲングリューンの意見は、あながち的外れでもなかった。「迂回機動」を掛ける相手が、キルヒアイス艦隊ではない、というだけである。ベルゲングリューンの発言を受けて、キルヒアイスはすぐに先程の考えが、真実をついていた事を悟った。

「しまった!おそらくタンネンベルク伯は、別働隊を率いてオーディンに急行しています!少数の高速部隊で!!」

 キルヒアイスは、顔面蒼白となり叫ぶ。どう考えても最悪の事態だ。ほぼ空のオーディンに、タンネンベルク伯が快速部隊を率いて、すでに急行している。帝都が陥落した場合は言うまでもなく、エルウィン・ヨーゼフ二世とグリューネワルト伯爵夫人=アンネローゼを捕縛されてしまう。それだけは何としても阻止しなければならない。皇帝はまだしも、アンネローゼが敵の手中に陥るなど、キルヒアイスにとっては考えたくもない事態だ。

 キルヒアイスの結論に、ビューローとベルゲングリューンは驚いた。とはいえ、その結論がもっとも妥当なのは、今更言うまでもあるまい。

「とにかく、先ずはローエングラム侯に連絡を。それと、リッテンハイム侯の艦隊も逃してはなりません」

 キルヒアイスは、差し当たっての対処指示を出した。

「先ほどの敵艦隊、一旦は射程外に逃れたものの、反転して再度攻撃してくる模様!」

 キルヒアイス艦隊の真っ直中を突き抜け、甚大な損害を与えていったシュタイナー艦隊は、更に反転して再度攻撃を掛けてくる。もちろん、正面からではなく、今度は右側方からの攻撃だ。

「おのれ、いつまでもやられてばかりいるとは思うなよ!」

 迎撃の指示を出しつつ、ビューローが毒づいた。

「なるほど。あの部隊は我が艦隊の足止めをする、ということですか。タンネンベルク伯が快速部隊で先行し、リッテンハイム本隊がそれより遅れてオーディンに進撃。あの艦隊が、我が艦隊の追撃を阻止する、ということのようです。なかなか見事な作戦です。タンネンベルク伯は、やはりかなり切れる人物のようですね」

 まもなく、シュタイナー艦隊が再接近してくると、右翼のワーレン隊との交戦が始まった。さすがに、短時間でもワーレン提督は先ほどの混乱から陣型を立て直しており、今度は一方的に蹂躙されるようなことはない。互角に戦っている。

「この間に、リッテンハイム侯艦隊の追撃を!」

 敵の別働隊はワーレンに任せ、キルヒアイスの本隊とルッツ隊は、オーディンを目指すリッテンハイム艦隊の追撃を行おうとする。しかし、シュタイナー艦隊の動きは、それを許さない。逆進してワーレン隊から離れ、射程外に逃れた後、進路を変えて今度はキルヒアイス隊の追撃に移った。あっという間に追いつくと、キルヒアイスの本隊とルッツ隊の後方を横切り、高速で通過しつつ砲撃を加える。シュタイナー隊が高速戦艦・巡航艦・駆逐艦のみで編成されている利点がここで出たようだ。ワーレン隊は簡単に振り切られてしまって、シュタイナー隊を引きつけるどころではない。ようやくワーレンが追いついて来て、あと少しでキルヒアイス本隊・ルッツ隊との間にシュタイナー隊を追い込み、挟撃できると思った時には、シュタイナー隊は左翼に抜けてしまっている。今度は左翼のルッツ隊が、シュタイナー隊に側面から攻撃される始末だった。

「どうやら、簡単には行かせてくれないようですね」

 キルヒアイスは、今度はルッツとワーレンの戦力を結集し、正面から敵部隊を半包囲体勢に追い込もうとする。だが、これも徒労だった。シュタイナー隊は攻撃を中止し、あっさり反転すると脱兎の如く駆け出し、距離を取ってしまって近づいて来ない。半包囲陣の中に艦隊を晒す気など、さらさら無いようだった。シュタイナー少将に、9000隻の戦力で、三万隻からの艦隊戦力に半包囲され袋叩きにされる趣味などはないので当然である。また、キルヒアイスが追撃を考えても、シュタイナーは優速を利してひょいひょい逃げてしまい、まるで捕捉できない。キルヒアイス艦隊が、高速艦だけで構成されている訳ではない以上、シュタイナー艦隊を捕捉するのは、所詮無理な話なのだ。

 全くもって、キルヒアイス艦隊の将兵たちにとっては、苛立ちばかりが募るばかりの戦いになってしまった。兵士だけではなく、司令官も例外ではない。シュタイナー艦隊の意図が「時間稼ぎ」と判っているだけに、尚更のことだ。追い掛ければ逃げ、無視してオーディンへ向かおうとすれば小癪にも追撃してきて、側方や後方から嫌がらせのような攻撃を加えてくる。囮で引きつけてから包囲殲滅しようにも、意図をすぐに読まれてしまい、囮に打撃を与えられたあと、包囲網からするりと逃げられてしまう。シュタイナー少将の戦術手腕は確かなもので、キルヒアイス・ルッツ・ワーレンほどの名将と雖も、完全に振り回され、辟易させられてしまっていた。有能な敵に対する賞賛は惜しまない、優れた性質を持つ三人の提督だが、ここまで窮させられてしまっていては、賞賛よりも、悪態や面罵も先に出ようというものだ。

 シュタイナー艦隊の嫌がらせのような足止め攻撃は、当分止みそうになかった。キルヒアイスとしては、苛立たしい限りだが、リッテンハイム艦隊が遠ざかっていくのを歯がみしながら見送り、シュタイナー少将が退くまで、諦めて受けて立つしかなさそうである。















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