反銀英伝 大逆転!リップシュタット戦役










反銀英伝 大逆転!リップシュタット戦役(5)






 リッテンハイム侯爵領、惑星オストラント。ここには、リッテンハイム侯爵の居城があり、侯の一族の多くは、今回の戦役でオーディンからここへ疎開してきている。かなりの規模の警備隊(艦隊含む)がいるので、仮にラインハルト軍が攻め寄せたとしても、そう簡単に攻め落とせるものではない。

 そこへ、数隻の「味方」を名乗る艦船が進入してきた。警備艦隊が臨検した結果、間違いなく味方である事が確認される。艦種は全て巡航艦で、臨検が終わると直ちにオストラントへの降下を開始した。


「一体どういう事ですの?御父様のご命令ですって?」

 リッテンハイム侯爵令嬢サビーネは、困惑の最中にあった。サビーネが現在居住している、惑星オストラントの居城の脇にいきなり何隻もの戦闘艦艇が降下して来ると、中から出てきた軍人たちが、サビーネに同行を迫ったからである。口調は丁寧なものがあったが、その軍人たちの有無を云わせぬ迫力に、サビーネのみならず城館の住人全てが気圧されていた。

「左様でございます、サビーネ様。私はタンネンベルク伯爵閣下の部下、帝国騎士(ライヒスリッター)フォン・ノイマン大佐と申します。サビーネ様には我らにご同行いただくよう、タンネンベルク伯爵閣下のみならず、リッテンハイム侯爵閣下からも厳命されておりますので」

 ノイマン大佐は、リッテンハイム侯爵・タンネンベルク伯爵連名の、署名入りの命令書をサビーネに差し出した。サビーネは一読し、父親の自筆の署名を確認すると、ノイマン大佐の言っていることが嘘ではない事を理解する。

「それで、わたくしをどこへ連れて行くおつもりですか?」

 サビーネの疑問に、ノイマン大佐は即答する。

「ヴァルハラ星系、帝都オーディンでございます。すでにタンネンベルク伯爵閣下は、オーディンにてサビーネ様をお迎えするよう準備を整えておられますよ。オーディンを制していたローエングラム侯らの勢力は、すでにタンネンベルク伯爵閣下の手により一掃されております。危険は全くございませぬので、サビーネ様にはご心配になられますような事はありませぬ」

「わたくしをオーディンに・・・・?一体何を行うおつもりなのですか、御父様たちは?」

「素晴らしいことです。現皇帝のエルウィン・ヨーゼフ二世陛下にはご退位いただき、サビーネ様に新たなる銀河帝国皇帝に即位していただくのです。サビーネ様と私たちがオーディンに到着した後、直ちに新皇帝の戴冠式が行われることになっております」

 ノイマン大佐に「新皇帝になってもらう」と聞かされ、サビーネは目を丸くした。

「わたくしが・・・・皇帝にですって?!」

「その通りでございます。サビーネ様が新しい皇帝となられた暁には、お父上リッテンハイム侯爵閣下は帝国宰相に、我が主タンネンベルク伯爵閣下は帝国軍最高司令官として、帝国を担う重要な職務に就くことになられるでしょう」

 目を白黒させているサビーネに、ノイマン大佐は更に説明する。

「現在の皇帝、エルウィン・ヨーゼフ二世は、先帝フリードリッヒ陛下のご崩御のあと、リヒテンラーデ公とローエングラム侯が権力欲しさに擁立したもの。先帝陛下の直系の孫にあたることはともかく、母親の血筋はよろしいとは云えませぬ。これでは、到底我が主タンネンベルク伯爵閣下を始め、貴族階級の支持を得るものではないのです。ここは是非とも、同じく先帝陛下の孫にあたり、なおかつ有力貴族の子女であられるサビーネ様に、即位していただきたいのです」

「でも、それならわたくしだけではなく、ブラウンシュヴァイク公爵閣下ご令嬢の、エリザベートさまもいらっしゃるのでは、と思いますけど?」

 正直言って、サビーネはドロドロとした権力争いには関心が薄かった。リッテンハイム家の子女は女子ばかりで男子の世継ぎはおらず、本来皇位継承が揉めごとなしにすんなり行われていれば、長女のサビーネが、父親の紹介でどこかの名門貴族家の次男坊、三男坊あたりを侯爵家の入り婿に迎え、継承することになっていたはずだ。精々その日の為に貴族家のレディとしてのたしなみを身につけようか、と思っていた程度だったからである。女性の身で自分が皇帝になる、という事態はさすがに考えてもいなかったのだ。一度、父親がそういう事を言っていたことはあるのだが、サビーネとしては「まさか。御父様はご冗談がお好きなのよ」と思っただけだったのである。ブラウンシュヴァイク公爵の娘、エリザベートは母方を通じて従姉妹にあたる訳だから、サビーネも知らない訳ではない。

「そのブラウンシュヴァイク公爵閣下ですが、リッテンハイム侯爵閣下とは義兄弟の関係でもあり、もちろん同志にはあたるのですが、この度はお二方のお考えに、多少の違いが出てしまいましたので、別行動を取っておられるよしにございまして。お父上、リッテンハイム侯爵閣下にとっては、ブラウンシュヴァイク公は、今では競争相手なのです」

 ノイマン大佐が言っていることは、早い話が「ブラウンシュヴァイク公はもはや味方ではない」ということだ。サビーネは深窓の令嬢という立場にいるとは云え、そこまで物分かりが悪い訳ではない。

「そうですの・・・・・ではエリザベートさまを皇帝に、という訳には参りませんね。わたくしが皇帝の地位に就かないと、御父様が困る、ということになる訳ですね」

「その通りでございます。サビーネ様のご理解が早くて助かりました。そういう訳ですので、サビーネ様には、直ちに私どもの艦に乗り込んでいただきたいのですが」

「大佐、ここからオーディンまでは、数日で着くような距離ではありませんよね。何の準備もせずに、いきなり旅に出る訳にはいきませんわ。旅支度の準備の時間を見ていただかないと」

「左様でございますな。して、いかほどのお時間を必要となさいますか?」

「そうね・・・・・ざっと考えて半日くらいかしら?」

 さすがにノイマン大佐は驚いた。大貴族の令嬢との、思考法のギャップはあまりに大きかったのである。サビーネにしてみれば、自領からオーディンへの移動は大事であった。着替えの類だけでも、普段着、礼服、その他諸々など、お気に入りの物だけでも相当な種類があるので、それこそ何トンの荷物になるか解らないくらい持って移動する。また、山のようにある服のうち、どれを持っていくか選ぶ時間も必要だ。同行する使用人の数も相当なものである。しかし、ノイマン大佐としては、そこまで悠長な事はやっていられない。

「申し訳ありませぬが、そこまでの時間はございませぬ。2時間以内に出発しますので、荷物は必要最小限でお願いします」

 そう言い切るノイマン大佐に、サビーネは抗議の声を上げた。

「無理ですわ。半日というのは、最大限急がせてのものですのよ。普段は、移動の準備には、一週間くらいは掛けていますもの」

 浮世離れしているとしか思えないようなサビーネの言いように、ノイマン大佐は呆れたが、再度強硬に通告した。

「まことに申し訳ありませぬが、そのような悠長なことをやっている時間はまるでないのでございます。本来、一分一秒でも時間が惜しいところです。2時間でも、多すぎるくらいなのでございますから。オーディンでは、全ての準備を整えてございますので、サビーネ様には身一つでいらしていただいても問題ない状況でございます。また、道中艦内では、当然夜会などを行う余裕はございませぬので、それらの準備も必要ありませぬ。お付きの方々も、サビーネ様の身の回りの世話をする者だけ、最小限度にてお願い致します」

「問答無用」と言わんばかりのノイマン大佐の口調に、さすがのサビーネも気圧された。実際、サビーネがこれ以上ぐずぐず言うようだったら、拉致同然に連れて行っても良い、とノイマン大佐は考えていたので、迫力があったのも当然だろう。

「・・・・・・分かりましたわ。でも、2時間ではほとんど何もできませんわね」

 かなり不満そうではあるものの、ようやく移動の準備を始めるサビーネである。ノイマン大佐は、「大貴族の姫君」との感覚の違いに、苦笑せざるを得なかった。ノイマンの出自は帝国騎士、ライヒスリッターの下級貴族である。大佐の父も軍人であり、祖父も同じようにまた軍人だった、という軍人の家系だ。もちろん、一族の中には同盟軍との戦闘で戦死した者もいるが、志願して軍人となった以上、「戦場では死神は公平。運不運はやむなし」と、割り切った考え方を持っているのが、ノイマンの一族では通常である。経済的に豊かだった訳ではないが、日々の暮らしに困るようなこともまたなかったので、ラインハルトのような「反ゴールデンバウム王朝」的な気分を持ってはいない。しかも、ノイマン大佐も、シュタイナー少将らと同じようにタンネンベルク伯を自分たちの盟主と仰いでいるので尚更である。現体制を一旦は完全破壊し、新たな秩序を打ち立てようという、ラインハルトの情熱を理解する気にはならないしなれないが、さすがに蝶よ花よと贅沢三昧に育てられた「大貴族の姫君」とは、感性があまりに違う事に苦笑を憶えざるを得なかったのだ。


 2時間後、最小限度の着替えと使用人を携え、サビーネはノイマン大佐の重巡航艦「ザルツブルグ」に乗り込んだ。いや、実際のところは、ほとんど「乗り込む事を強要された」に近い状態である。2時間経ってもまだあれのこれのと持って行く服を選んでいたサビーネに、ノイマン大佐が「時間切れ」を通告し、追い立てるように「ザルツブルグ」に乗り込ませたからだ。その為、かなり不満が鬱積している。

「もう、何ですのこの扱いは!こんな狭い部屋で、わたくしに二週間も我慢しろとおっしゃるの?あんまりですわ!」

 しかし、ノイマン大佐としては、サビーネの不満に一々付き合ってはいられない。オーディンまで急行する為には、やらなければならない事が山ほどあるからだ。その為、サビーネの不満は、お付きとして対応する事をノイマン大佐に指示された、リヒトホーフェン中尉が一身に受けることになる。中尉はまだ若く、22歳の金髪碧眼。見た目は水準以上、と言ってもいいだろう。しかし中尉の見かけは、この際あまり意味がなかった。新皇帝陛下への対処を一人で行わなければならないという栄誉、いや実質「不運」と言ってもいい状況に置かれてしまったが、我が身の不運を嘆くどころの話ではなかった。何しろ酷い時は数分に一回、サビーネに呼び出されてあれこれ不満をぶつけられるのだ。しかも内容は我が儘放題としか言いようがない。やれソファの座り心地が悪いだの、部屋の内装が気にくわないから模様替えしろだの、食事が不味いだの、食後はコーヒーではなく、好物のパフェを出せだの、退屈だから何か演芸でもやれだの、どうしようもないものばかりである。それに対し一々「ごもっとも」と応対せねばならないのだから、神経をすり減らすばかりであった。中尉の悩みは、オーディン到着まで続きそうである。




 シュタインメッツ提督は、リッテンハイム侯領とオーディンの間の宙域に哨戒線を張り巡らし、分散した100隻程度からなる小艦隊を計30個ほど配置させていた。各小艦隊の間隔は適度に散らし、隣接する艦隊が、周辺部で互いに重なる哨戒の「面」を保持しているので、先ず網から獲物が漏れることはないと思われるものだ。また、各艦隊間及び司令部との間に通信網も構築し、目標発見の報告とともに、すぐさま近辺の別の小艦隊が結集できるようにしてあるので、相互支援も考慮されたものである。しかし、主要航路のみならず、脇道とも云える航路まで全て押さえているので、相手が考えられない程の迂回航路でも取らない限り、目標を見逃す可能性は低い、といってもいいだろう。問題は、網を一枚分しか構成できなかったことくらいだ。本来なら、二重三重に捕獲網を張り巡らせた、万全の体勢を築きたいところであるが、そこまでの兵力はシュタインメッツ提督の下にはなかったので致し方ない。

「敵の巡航艦数隻が、リッテンハイム侯領に向かった事までは情報が入ってきております。巡航艦数隻程度、各小艦隊の戦力だけでも充分に対処可能でしょう」

 幕僚の一人がシュタインメッツに報告した。現在、シュタインメッツの下にある戦力は、分散させた三千隻と、シュタインメッツ直率の一千隻、計四千隻である。この戦力で辺境星域の制圧を行っていたのだが、今回急遽ローエングラム侯からの命令で、リッテンハイム侯爵令嬢捕獲作戦を実施する事になっていた。

「よろしい。あとは敵が罠に掛かるのを待つばかり、という訳だな。今回は何としても、リッテンハイム侯爵令嬢を捕虜にせねばならぬ。さもなくば、我らは二進も三進もいかぬ状況となってしまおう。この作戦に全てが掛かっている、と云っても過言ではなかろう」

 シュタインメッツ提督としては、自分の状況で出来る事は全て果たした、あとは天命を待つばかり、といった状況である。罠を張り巡らした宙域は、オーディンからはかなり遠い。単純計算で10日はかかるような位置である。何しろ、下手にオーディンに接近した場合、タンネンベルク伯爵軍と遭遇する危険性もある。巡航艦数隻を相手にするのを狐狩りとすれば、オーディンの敵艦隊戦力への対処は猛獣狩りになってしまう。そのような危険は、なるべく侵したくないものである。



「うーむ、どうやら簡単には、オーディンに到達することは適わぬようだな・・・・・・」

 ノイマン大佐は、「ザルツブルグ」の艦橋で、一人呟いた。軍用ネットワーク及び民間船の通信傍受で収集した情報では、かなりの数の小規模艦隊が、「ザルツブルグ」が進行しようとしている宙域を彷徨いている、ということを顕わにしている。こんな辺境に味方の戦力がいる訳はないので、最悪敵がこちらの意図を察知し、「ザルツブルグ」を拿捕。サビーネを捕獲する事を考えている、と解釈せざるを得ないところだ。そうなれば、グリューネワルト伯爵夫人との人質交換を呑まざるを得なくなり、タンネンベルク陣営の優位が崩れてしまうだろう。そのような事態にさせる訳にはいかない。

「敵を撒かねばならぬと言うわけか。鬼ごっこだな、これでは。子供が行うものより壮大ではあるが」

 ノイマン大佐はそう言うと、微苦笑した。大佐の手元にあるのは、「ザルツブルグ」「ライプチヒ」「ミュンヘン」「デュッセルドルフ」、重巡航艦が4隻だけである。前方の宙域を彷徨いている、どの艦隊と遭遇しても、すぐさまやられてしまう程度の戦力でしかない。捕捉されないような航路を取るしか方法がないのだ。さすがに簡単にはいかないだろう。

「さて、どのような方法を取ろうか。捕捉されない宙域、とはいってもそこまで大回りの航路を取る訳にも往かぬし、航路を外れて遭難するのも願い下げだ。囮で誘致し、隙を作るしかないな。それに多分、この宙域で敵方の指揮を執っているのはシュタインメッツ提督だ。一流の将帥には、それなりの罠を仕掛けなければならない」

 大佐は決断すると、各艦の艦長を全員呼び出し、作戦を授ける。その後、各艦は大佐の作戦通りに行動を開始した。



「第21哨戒部隊より不明艦発見の報告!目標は巡航艦です、数は一隻!!」

 シュタインメッツの旗艦に、不明艦発見の報が飛び込んでくる。

「一隻だと?!ふん、そんなものが本物の訳がない。囮に決まっていよう。甘く見てくれたものだな。第21哨戒部隊に命令、適当に追い掛けるだけにして、持ち場を空けぬようにせよ、とな」

 続けて、発見された巡航艦は、脱兎の如く逃げ出した、との報告が入ってくる。更に、追撃部隊が速度を落とすと、同じように速度を落とし、まるで誘っているようだ、との報も入る。

「やはりだ。最初に発見された目標は囮もいいところだな。各部隊に通達。次以降に本命がいる。哨戒を厳にせよ、だ」

 しばらくして、次の目標が発見された。今度は前の目標の隣、第20哨戒部隊からである。

「不明艦一隻、哨戒範囲ぎりぎりを高速で通過!オーディンへ向かっています!現在、当部隊はこの目標を追撃中!!」

 逃がすな、と命令したシュタインメッツだが、まだこれが本命と思っている訳ではない。罠にしても単純過ぎる。二重、三重の罠を仕掛けるのは当然、と考えていたからだ。


 この目標を、第20哨戒部隊が追い掛けている最中、更に最初の第21哨戒部隊のエリアに、新たな目標が発見された。これも巡航艦一隻で、哨戒エリアの境目の突破を図っている。しかし、すぐにこのエリアの守りが堅いことが解ったのか反転して逃げ始め、最初の目標を追い掛けていった以外の、第21哨戒部隊の残りの半分がこれを追い始めた。

「うーむ、どうもこれもまだ囮くさいな。第20哨戒部隊は、第二目標を追い掛けていったのだから、そのエリアは空いているな?そこは空けたままにして、偵察艦一隻を置いておくようにせよ。そして、第21と第19から、第20からオーディン方向へ向かった宙域で合流するよう、戦力を派遣するのだ。おそらく、そこに本命が来る」

 その後、第20の宙域を見張らせていた偵察艦から、「巡航艦一隻通過中。高速ではなく、慎重に進んでいる」との報告が入った。それを聞いて、シュタインメッツは笑みを浮かべた。

「空いている宙域に、一隻だけでやってきた上に、周囲を探るように進行している。どうやらこれが本命のようだな。指示した通り、第19と第21の部隊は、先回りして挟むような体勢を取っているな?よし、本隊も第20の宙域に急行する!これで包囲網は完成、捕り物も終わりだ」

 シュタインメッツは本隊を進発させ、第20哨戒部隊の担当宙域を目指した。これでリッテンハイム侯令嬢サビーネを捕らえる任務が完了するはずだ。



「どうやら成功したようだな。敵は上手いこと誤魔化されてくれたらしい」

 ノイマン大佐は、「ザルツブルグ」の艦橋で安堵のため息をついた。大佐の目の前で、敵の追撃艦隊が反転し退却してゆく。それを確認すると、大佐は「ザルツブルグ」を、シュタインメッツの側で「第21」と命名した宙域に進入させていった。時間的余裕はあまりないので、かなりの高速を出している。

 実は、「ザルツブルグ」は、シュタインメッツが最初に「囮」と判断した目標だったのだ。本命が一番最初に現れ、あらかさまに囮のふりをして敵を誘致。誘い込むような真似を見せつけられれば、さすがのシュタインメッツもこれが本命だとは思う訳がない。更に、他の艦を使って、「他に本命がいる」としか思えないような、二重三重の囮作戦もどきを近辺の宙域で展開する。その上で最後に、敵が「本命」と思いこむような動きの艦を出現させ、最初の「囮」を追い掛けていた敵がそちらに向かうのを見越して、「囮」のふりをしていた「ザルツブルグ」が、悠々と包囲網を突破する、という作戦だったのである。何とまあ、大胆不敵に組み立てたものだろうか。敵が疑問を持たずに、最初の目標に全力を傾けてきた場合は、「ザルツブルグ」が逃れることは困難なのだから。

 さほどの時間を掛けず、「ザルツブルグ」は、「第21哨戒宙域」を突破し、更に捕り物の現場のビフレスト星系そのものを抜け、オーディンへ向かって一路駆けだした。

 敵を撒くことには成功した。あとは全力で逃げ切るだけである。



 シュタインメッツ提督は任務の成功を確信し、降伏した3隻の敵艦に乗り込んだ指揮官からの報告を待っていた。「知らぬ存ぜぬ」と白を切り通す相手を臨検せねばならないのだから、多少の時間が掛かるのは仕方がない。しかし、一向に朗報は得られなかった。いや、それどころか正反対の報告が入ってくる。

「拿捕した艦のどれにもリッテンハイム侯爵令嬢は乗っていない?そんな莫迦なことがあるものか!!ちゃんと捜せ!!」

 とても信じられないような報告だったので、シュタインメッツは苛立ちを直にぶつけた。最初の囮艦を除いて、妙な動きをした敵艦は全て拿捕したのだ。その中にリッテンハイム侯爵令嬢サビーネがいない訳はない。敵が艦内に隠蔽しているものを、捜しきれていないだけだ、との判断に傾くのも当然だろうか。

「シュタインメッツ提督、最初に発見した囮の敵艦はどうなったのでしょうか。まさかとは思いますが、実はその艦に目標の人物が乗っていた、ということがあり得るのでは?」

 何時間か経っても埒があかないので、幕僚の一人がシュタインメッツに疑問を投げかける。

「そんな莫迦なことがあるものか。それに、その目標もとうに拿捕したか、諦めて引き返してしまったかのいずれかに過ぎぬ」

 シュタインメッツは即座に否定し、それ以上この幕僚もこの件に関して突っ込んだ意見を述べることはできなかった。

 この間にも、ノイマン大佐の「ザルツブルグ」は一路オーディンへの道を辿り続けている。シュタインメッツ提督が「ザルツブルグ」を捕捉するのは、もはや困難と云える状況になりつつあった。


 ようやく、事の次第をシュタインメッツが掴んだのは、24時間以上経ってからのことだった。拿捕した艦の捜索では埒が明かず、遂には各艦の艦長に自白剤を注射し、強制的な尋問を行った結果である。すでにサビーネを乗せた重巡航艦「ザルツブルグ」はシュタインメッツの哨戒網を突破し、オーディンへ向かっている、実は最初に現れ、囮のふりをしていた艦にサビーネが乗っていたのだ、と。

 まんまと騙された事を知り、顔面蒼白になり愕然とするシュタインメッツだったが、すでに完全に手遅れだということは自覚せざるを得なかった。単行の高速巡航艦にまる一日先行されたのでは、もはや追いつく道理はない。諦めて「リッテンハイム侯爵令嬢捕獲作戦失敗」をラインハルトに報告せざるを得なかったのである。



 シュタインメッツの失敗の報告を受けたラインハルトは、蒼氷色の瞳を見開き、視界内の全てを焼き尽くすような苛烈な眼光を放った。しかし、目の前にいるオーベルシュタインを責める訳にもいかない。オーベルシュタインは策を立案はしたものの、実行した訳ではないからだ。オーベルシュタインの策自体は妥当なものなので、実行部隊がしくじった、ということではオーベルシュタインに責任を問う訳にはいかないのである。

「・・・・・・卿は、あくまで姉上を犠牲にせよ、と主張するのか?」

 しばらく経ってから、ラインハルトはオーベルシュタインに訊ねる。

「すでに閣下の命により、ロイエンタール提督がグリューネワルト伯爵夫人救出作戦を実施する事は決定しております。その策も失敗した、となれば小官は閣下に当然そうすべきと進言致しますが、現在のところはそこまでは申し上げませぬ。もちろん、小官としては、委細構わず直ちにオーディンを奪回すべしと考えますが、閣下のご命令はそうではなく、何が何でもグリューネワルト伯爵夫人をお救いしろ、とのこと。現状ではそれを優先すべきでしょう」

「・・・・・・・・・・・」

 取りようによっては、莫迦にしているようにも聞こえるオーベルシュタインの言いようである。ラインハルトはそれ以上は何も言わず、僅かに手を振ってオーベルシュタインを下がらせた。それ以上やり取りしていると、激発してしまいそうな気がしたからだ。そうでなくても、胸中に渦巻くどうしようもない苛立ちを、驚異的な努力で押さえつつ、何とか精神の安定を保っているラインハルトである。アンネローゼがこともあろうに敵の手中にあり、それを取り返すことも適わぬ、というのでは、ラインハルトの「少年」の部分にとってはその身を煉獄の炎に焼かれるよりも辛い、としか表現のしようがないところだ。


「やれやれ。どうやらローエングラム侯には、決定的な決断はできぬようだな。姉のこととなれば、侯と雖も所詮その程度だ、ということか。とすると、こちらはこちらであれを進める必要もあるか・・・・・」

 意味深なオーベルシュタインの独り言だが、幸いというか不幸にというか、誰も聞いている者はいない。義眼の参謀長は、主君の意志を抜きにして、策を進めることを考えているようである。



「そうか。シュタインメッツは失敗したのか。では俺の策が、我が軍の最後の命綱になりそうだな」

 リッテンハイム侯爵令嬢捕獲作戦失敗の報を受けたロイエンタールは、オーディンへと向かう「トリスタン」の艦橋で不敵に笑っていた。オーベルシュタインの策が失敗した、ということはシュタインメッツ云々は別にして、ロイエンタールにとっては精神にプラスの作用をもたらすことであったからである。また、ロイエンタールにとって、「自分が失敗したら終わり」という状況自体は、忌むべきことではない。むしろ危険に楽しみを見いだすような、不遜な傾向を濃厚に持っている男。これがオスカー・フォン・ロイエンタールという人間の本質であった。

「オーベルシュタインの思惑通りになる、などという不愉快な事態は願い下げだ。必ず成功させ、精々奴に対する意趣返しとさせてもらおうか。それに、グリューネワルト伯爵夫人救出に時間がかかった場合、オーベルシュタインの奴が直接手を下し、伯爵夫人を殺めようとするやも知れぬ。そして、タンネンベルク伯やリッテンハイム侯に、その責任を擦り付ける事も間違いあるまい。奴ならそれくらいの事はやりかねぬ」

 具体的な証拠がある訳ではなく、ほとんど偏見でしかないロイエンタールのオーベルシュタイン評だったが、実際のところはかなり的を射ていたのだ。そうはさせじ、オーベルシュタインの筋書き通りに事態が推移するのは真っ平だ、必ずきゃつの目論見を粉砕してやる、と意気込んでいるロイエンタールである。















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