帝国歴679年、とある雑誌に掲載された書評より。




 昨今、いわゆる「架空戦記」ブームの到来により、シミュレーション小説という名の物語が、色々な作家の手によって執筆され、人気を博すようになっている。その中でもやはりよく取り上げられる時代は、帝国暦488年、帝国を混乱に陥らせたリップシュタット戦役をテーマとしたものであろう。「もしラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵が勝利していたら」というテーマは、確かに「歴史のIF」としては魅力的である。よく知られているように現実には、エーリッヒ・フォン・タンネンベルク侯爵を最高司令官とする貴族連合軍が勝利したにもかかわらず、このテーマが今に至るまで何度も書き続けられているのは何故だろうか。著名な作品の紹介と解説を行いつつ、これらについて論考してみよう。


1.金色(こんじき)の艦隊   ヨッシー・アラマッキ著

 ローエングラム侯爵がその死の瞬間、何故か別次元の若き日の自分に転生し、「リップシュタット戦役を用意周到にやり直す」ことになった、という作品である。今日の架空戦記ブームに火を付けた作品と言ってもいいだろう。作中では、ローエングラム侯爵は最大の敵タンネンベルク伯爵を、戦役勃発以前にオーディンにて拉致、拘禁してしまい、全く活躍させず後に謀殺してしまう。その上で貴族連合軍への分裂工作は怠りなく、ローエングラム軍が進撃するだけで敵の戦力は崩壊して行き、最後のガイエスブルグ戦も圧勝で終わってしまう。その後、ローエングラム侯爵は片腕のキルヒアイス提督とともに銀河の制覇を目指し、遂には全銀河統一を成し遂げる、というものである。しかし、この作品では実際は巻が進むとともに増大する、現実とリンクさせた「後書き」が、最後の方の巻では全ページの半分以上を費やす、というようになってしまっており、なおかついわゆる「ご都合主義」によるストーリー的な破綻が目立つので、マニアックな「架空戦記」ファンからはかなり不評を買っている。抽選に応募した読者の名前を、一般兵士レベルの登場人物に採用するという手法で、ライトなファンからは人気を博しており、「売れた」という意味では、かなりの金字塔的作品と言えようか。


2.出撃!!要塞戦艦「ヨルムンガンド」   ダニー・コセー著

 いわゆる、「新兵器系」の代表作である。ローエングラム侯爵の肝煎りで建造された要塞型巨大戦艦「ヨルムンガンド」が、群がり来る貴族連合軍の艦隊をばったばったと叩き潰し、圧勝してしまう、という筋だ。この作品はローエングラム侯爵軍の勝利の場面で終わっており、その後の歴史についての記述などはない。作品中にやたらと爆発音やら射撃音(宇宙空間で音が聞こえる訳はないのだが)など、擬音の表記が大量に入っていることが特徴であり、「ページ数を稼ぐ為でしかない」としか思えないこの部分は架空戦記ファンのみならず概ね不評である。また、一隻で一個艦隊を相手にして撃ち負かしてしまう「ヨルムンガンド」の存在自体、作品世界のバランスを崩しているとしか思えないので、「トンデモ系」の代表作(火葬戦記とも呼ばれる)とも言われている。一応、この作者はこの後の「ヨルムンガンド Vs イゼルローン要塞」や、「ヨルムンガンド Vs ヤン艦隊」などの作品も構想にあったようだが、あまり人気が出なかった為に次回作の執筆依頼が来なかったので、構想も立ち消えになってしまった、ということである。


3.大逆転!リップシュタット戦役    ヨシアッキ・ヒャーマ著

 五百年後の帝国軍戦艦一隻が、なぜかオーディン会戦開始当日にタイムスリップし、艦長のワーレン大佐が先祖の無念を晴らす為に、戦闘に介入し戦況を逆転させてしまう、という筋のものである。たかが一隻で、と思われるだろうが、五百年の間に飛躍的にテクノロジーが進化し、戦艦レベルに同時代で言うなら「トールハンマー」なみの大口径エネルギー砲の搭載が可能になり、一撃で一千隻以上を消滅させてしまう、という設定(作中では「ウェーブキャノン」と称している)となっている。しかしタイムスリップとこの「ウェーブキャノン」を除けば、時代や登場人物の設定自体には無理がなく、上手くまとまっていると言えよう。この化け物じみた艦による歴史介入も最小限で、オーディン会戦最初のタンネンベルク軍の包囲網突破を頓挫させ(もっとも、ここがオーディン会戦のキーポイントであったことは否めない)、その後のローエングラム軍の優勢を確保する、との展開だ。結局、兵力に勝るローエングラム軍が、そのままタンネンベルク軍を包囲殲滅し、帝都オーディンを再奪取。遅れて駆けつけたガイエスブルグからの貴族連合軍も各個撃破され、帝国の覇権はローエングラム侯爵が得た、という話になっている。但し、権力を得たローエングラム侯爵が、姉の死と、偶発的にキルヒアイス提督が戦死にしてしまったことより虚無に陥ってしまっているので、不必要なまでに過酷な支配者として君臨し、帝国の暗い未来を読者に想像させるという終わり方は、この作者一流の「歴史改変を行った場合、現実世界の歴史よりよくなるとは限らない」という主張が、よく現れている。全体的にはよくまとまっており、「架空戦記」としてのツボも押さえた秀作であると言えるだろう。


4.戦艦ブリュンヒルト・オーディン会戦   ナッチー・キリー著

 ローエングラム侯爵の旗艦として名高い、ブリュンヒルトが大活躍する作品である。この時代を扱った作品では「定番」と言えるブリュンヒルトの活躍だが、ここまで大々的にブリュンヒルトにこだわった作品も珍しい。しかし、ブリュンヒルトが戦場に現れるだけで、どんな不利な状況でもひっくり返してしまい、敵はほとんど無抵抗で撃ち倒されるだけ、極端な逆転劇が何回も何回も生起する、という筋はあまりに整合性に欠ける、破綻したものでしかない。単純に「大活躍する無敵戦艦ブリュンヒルト」が読みたい、という読者にはお勧めかも知れない、というだけであろう。また、いかに架空戦記全般で「猪突提督ビッテンフェルト」の人気が高いとは雖も、ローエングラム侯爵が最も愛した旗艦ブリュンヒルトにビッテンフェルト提督が乗り込み、侯爵そっちのけで縦横無尽に戦闘指揮を執りまくる、というのはいくら何でも無理筋ではないだろうか。この作品も、いわゆる「火葬戦記」の範疇というべき代物だ。なお、この作家は多作で知られており、似たような話が沢山あるのでどれがどれだか区別が付きにくい上、度の過ぎる場合は3〜4日で本を一冊書いてしまった、などの例もあったようなので、内容の密度が薄いことは否めない。


5.真銀河英雄伝説    ヨッシキ・タァナカ著

 この作品では、技術的に飛躍した設定やタイムスリップ、あまりに強い戦闘艦などは一切盛り込まれていない。明らかに、他のものとは一線を画している。「もし、エーリッヒ・フォン・タンネンベルクなる人物が歴史上に存在しなかったら」一点で銀河の歴史を再構築しており、その展開は興味深い。確かにタンネンベルク侯爵が存在しなければ、貴族連合軍の戦力をまとめあげてローエングラム侯爵と戦うことは困難だったであろう。その場合、リッテンハイム侯爵の分派活動は、おそらくキフォイザー星域において行われたであろう会戦でキルヒアイス提督に撃破され、ガイエスブルグのブラウンシュヴァイク公も「ヴェスターラントの虐殺」事件で信望を失い、貴族連合軍自体が瓦解、滅亡に追いやられたであろう、という筋書きは十分な説得力を持つものである。その後のローエングラム侯爵と自由惑星同盟ヤン提督との対決などの描写も見事で、発表当時にベストセラーになったのみならず、現在に至るまで読み続けられている名作中の名作となっていることも、頷ける話だ。若干難点を述べるとすれば、ローエングラム侯の片腕キルヒアイス提督の死が早すぎる(もっとも、史実でも彼はローエングラム侯の盾となり、早世しているのだが。この作品世界なら、もう少し長生きしていてもいいと筆者は思う)ことと、「最後の民主主義の砦」となるイゼルローン共和政府が、実質は民主の名に値しない集団指導体制による独裁制でしかなく、最終巻で成立したバーラト星系自治政府の未来もかなり危うい(自治政府指導者たちの度の過ぎた理想主義による過激化が予想される上、新銀河帝国初代皇帝個人の好意のみで成立している過程に無理がある。民主主義の維持は困難としか思えない)のではないか、というあたりであろうか。また、ローエングラム候が権力を簒奪して皇帝となった後の治世が、これもまた理想主義的であり過ぎることも、若干のマイナスポイントと言えよう。これについては、作者のタァナカ氏が、ある時のインタビューに対し「貴種と呼ばれる人たちは好きではない」と明言しており、タンネンベルク侯爵のような「名門出身の有能なる人材」に、否定的感情を持ってしまうところから、ことさら「貴種出身ではない統治者の治世」を理想化する設定が組み立てられたのではないだろうか。作中でよく使われている「後世の歴史家」なる観点でこの作品を眺めて見れば、皇帝ラインハルトの治世は、作中では絶賛に近い評価をされているものの、実際のところは皇帝ラインハルトの趣味(としか思えない)に近い「戦争して勝ちたい病」により、多大な人命が損なわれている、ということは到底首肯できない、とされるのではないだろうか。生活に余裕がない階層や、何かへの恨み辛みに凝り固まっている階層から、「理想的統治者」などは滅多なことでは出てこない、ということは現在までの人類の歴史が証明しているが、その両方に当てはまる皇帝ラインハルトの統治が理想的というのはいかがなものか。また、一方の主役になっている自由惑星同盟のヤン提督の方は、あまりにモラトリアム性が強すぎる。「永遠の青年」なる人物が影響力の少ない個人の場合はまあ構わないであろうが、大将だの元帥だのという地位でそれでは、あまりに無責任過ぎるのではないか。しかし、これらは筆者が敢えてあら捜しをしてみせただけの難点に過ぎず、「真銀河英雄伝説」の作品自体の価値は、いささかなりとも損なわれるものでないことは保証しよう。



 以上、何作品かを挙げ、論考を加えてみた。結局のところ「もしローエングラム侯爵が勝っていたら」という物の考え方自体、英雄願望、救世主願望から来ているもの、といえるだろうか。現実には社会を一変させる万能の救世主などはおらず、帝国の歴史は穏やかなる変化を遂げただけだった。旧地球世紀の歴史を繰り返すかの如く、貴族階級による貴族院と、経済的に豊かになった平民階級による衆議院の設立から、立憲君主制・普通選挙制への移行。言論・思想信条の自由などが段階的に成就していったことは、一国家の歴史としては、正道と言って構わないだろう。実際、今日では、その昔であれば不敬罪で出版禁止になりかねない「もしローエングラム侯爵が勝っていたら」などというテーマの小説が、多数執筆されているということも、帝国社会の成熟を顕わしていると言えよう。一般的に、英雄的独裁者というものは、確かに時として歴史を加速させる劇薬としての効果はあることに間違いはない。しかし歴史を振り返って見るに、その毒の成分が社会に与える悪影響は、決して無視できるものではない。我々としては、過度な理想主義や英雄・救世主願望に冒されることなく、現実主義的な観点を重視して歴史を眺めるべきではないだろうか。





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